安里麻里 冒頭のアニメーションから、ラスト10分グッチャグチャの人間ドラマの渦に至るまで、菊地健雄臭、満々!素敵な全力映画を観させてもらいました。ありがとう!!
石井裕也 三十半ばの男が処女作で故郷を描くなんて…。かっこいいし、キュートだし、本当に素敵です。
いまおかしんじ 「斉藤陽一郎と仕事がしたいと思った。」ヨロシクお願いします。
岩田ユキ 互いに敵対心は無い…のに仲悪い、仲悪い…けど共に佇む奇妙な三兄妹のお話です。
榎本敏郎 助監督として現場で過ごした経験値と「映画」を志した時に持った初期衝動に充ちた、デビュー作らしい作品である。
大九明子 靴を左右色違いで履きこなしちゃうオシャレな菊地監督のこだわりだろうか。最早全くノーマルではないはずのノーマルサイズ。その窮屈さ故か、ムンムン臭う。動物の屍からも真っ黒い土からも、削られる金属片からも、そして俳優からも。いちいち丁寧に人物の表情を抜いて来るあたりは、ホント、人間好きなんですね。監督、スケベで良かったね。
大西裕 嗚呼、これがデビュー作…えーのー。次回作も期待します。気が早い?撮り続けて。
大森立嗣 ほめられたときから落ちていくらしい、気をつけろ、健雄。
奥原浩志 菊地君にはかつてとても小さな映画で世話になった。 しばらく会わないうちに立派な映画を作ってた。驚いた。
加藤直輝 話しだすと止まらず一滴も飲めないのに朝まで喋り倒す菊地さんがどんな映画を撮るのか見当もつかなかったがさすが、地に足着いた映画だった。スタッフも同年代や知った名前があるし、各部署の総合力がカットに写っていて、こんな堂々としたものを撮られると久々にざわついてしまった。
木村承子 もしかしたら菊地さんは映画の神様と両思いなのかもしれないと思いました。 中村ゆりさん演じる顕子の、花火を振り回してはしゃぐ細い腕が、酔った時の挑むような目線が、朝食を頬張る化粧の落ちた横顔が、神懸って美しく印象的でした。
久保朝洋 菊地、やったな!次は物語りを突き破れ!猛獣を追いかけろ!
熊切和嘉 「地元」愛と「映画」愛がこれだけ渦巻いているのに、決して独りよがりになっていない。絶妙なバランス感覚で、丁寧に、かくあるべき的確なショットを積み重ねる。プロとして長年培われてきた彼の技量に、さすがと唸った。……でも、破綻するくらい想いが先走っているものも次は観てみたい!
熊坂出 『ディアーディアー』は、数多くの映画監督がお世話になった助監督・菊地健雄のデビュー作です。デビュー作で、ここまで見易いものに落とし込む構成力は本当にすごいし、邪推するにおそらく超低予算にもかかわらず、これだけ贅沢な画作り、音作りができるスタッフや豪華キャストが集まったのは、ひとえに彼の人間力の賜物だと思います。生み出すためにたくさんの他人の力を必要とする映画で生きて行くのなら、それは必要不可欠な大事な力だと思いますし、『ディアーディアー』は、そういった監督の力を証明していると思います。内容に関しての感想はいろいろあると思いますが、それより何よりも、菊地くん監督デビュー本当におめでとう! 僕も頑張ります。
黒沢清 最初、何だかなあという感じで見始めたのだが、途中から突然面白くなり、最後はめちゃくちゃ面白く見終えた…こんなのアリなんだねえ。
坂本礼 知ってるつもりでいたけれど、僕は全然、菊地くんのことを知らなかったんだ。映画を観て、彼の心の中を覗けて嬉しかった。なんだかもっと知りたいなぁ。次も観たいなぁ。
佐向大 車が通るたびにバッコン、バッコン響く高速道路。頭に振り下ろされるたびにペコ、ペコと鳴る木魚。残念な兄妹たちが喰らうそんなおかしくて哀しい音だけでも十分傑作なのに、あの奇跡のラスト。『バードマン』超えてます!
諏訪敦彦 決して安全な場所に着地せず、錯綜する航路を縫うように飛行し続ける演出にすっかり引き込まれた。
瀬々敬久 最初は映画を知った風な画が鼻についたが、途中からどんどんヘタ糞になって、おーおー、いいぞと思う。それについて行くように役者さんも自由にやっていて気持ち良かった。映画はこうじゃなくっちゃ。そして、オリジナル脚本を故郷で撮影、それでいてシミッたれた故郷礼賛になることなかった鬼畜キクチ監督の勇気と挑戦に取り敢えず、拍手。
瀬田なつき 菊地監督の、これまでの多種多様な映画体験を生かした、いろいろなこだわりが、どのシーン、どのカットからも溢れた作品だと思いました。
高橋洋 物語を追うというより「金田一耕助」シリーズのように次々と登場する役者たちの芝居をゆったりと楽しんで見る映画。物語の仕掛けそのものには映画美学校生にありがちな「小技」感が……。ここで脚本家とどう戦うかだ。キャメラ前を鹿がよぎるショットは確実に『ソドム』精神の発露と思われるが、そんなデンジャラスなことをやっていて大丈夫なのか?
タナダユキ 絶望し、それでも希望を夢見る者たちの、愚かな様は滑稽だ。けれどそれは、観る者の写し鏡でもあるだろう。容赦なく、けれど優しい眼差しがこの映画にはある。スイーツとお喋りが好きなタケオキクチ。会うごとに少しずつ太くなっていくタケオキクチ。額の面積が広くなっていくことを平気なフリして実は気にしているタケオキクチ。彼は遂に映画監督・菊地健雄となり、その才能と、暑苦しいほどの映画への愛情を、力強く作品として昇華させた。祝・初監督作品!
谷口正晃 挫折をくり返し、成長することのない兄妹──この愚かさのなんと愛おしいことか。優しさの安売りをしない清さが作品に貫かれているから、ネガティブになればなるほど登場人物の魅力が増していく。無軌道に疾走し、予測不能の面白さに溢れる物語(杉原脚本の妙!)を見事に描き切った菊地演出。さすが! 数々の現場を支え続け、育んだ実力がものを言ってるんだと思う。これで菊地監督がうまいのはわかったんで、次回作では大いに乱れていただきたいと思った。
たむらまさき シカあれかしと希う兄弟妹がイノセントまたはノンシャラン故か揺さぶられるエモーションズ。絆の棚らむリョウモウ・コミューンに抗い振るシカジカ云々が<選練>された音響・音楽を伴ってシカとした「映像言語」で端的にユーモラスに優しく展開されていくとき──《可笑しふてやがて哀しきシカジカや》
冨永昌敬 これほどフレッシュさに欠ける初監督作品もあるのかとギョッとしつつ、菊地監督の驚くべき熟練の映画作法を見せつけられて腰を抜かしました。それとまた何なんでしょう、故郷足利に対する監督の正直かつリアルな距離のとりようは。きっと菊地くんは故郷を愛しても憎んでもいない。多くの人と同じように、ただ実家が好きなだけでしょう。作者の故郷が舞台となった場合、愛憎入り交じった故郷論がいやおうなしに立ち上がるものですが、この映画は一面そんな王道に沿ったふりをしながらも、平然と故郷の地べたに寝そべっている。
内藤誠 出身地の物語で三兄妹をみごとに演出。菊池健雄の門出を祝いたい。
西山洋市 この映画を見れば菊地健雄の現在の立ち位置は明らかだ。母親はいない。父親が死んだ。いまはきょうだいで寄り集まっているが、新しいものを生み出すためにはきょうだいからも離脱して次なる段階へ踏み出さなければならない。菊地健雄はそれを明白に意識しているだろうか?そして、なにものかを切り捨てて、新しい世界へ突き進めるだろうか?人のことなど言っている場合ではないが、他人事ではない。健闘を祈ってます。
萩生田宏治 画面の隅々に、彼が支えてきた錚々たる監督たちの影がしのびよる…菊地監督はその影にリスペクトしながら抗い、どこまで遠くへ行けるのかを自身に問い続けたに違いない。その果てに彼は、生まれ故郷に住むと言われる、しなやかな首を持った女を発見した。とてもうつくしかった。
濱口竜介 兎に角眼を見張るのは、「新人監督」とは思われないような、撮影・編集・音楽、そして構成の手練れぶりだろう。それは優秀なスタッフを揃えたのだと言うならば、監督・菊地健雄の能力の最たるものは「信頼する」力と言える。信頼とは映画を作る上で最も重要なスキルであることを『ディアーディアー』は教えてくれる。しかし、まだ先があるように思われる。そうした優秀さが世界そのものを描き出すほどに引き出されたとは思われないところがある。それは与えられた予算や時間の限界とは無縁のものだ。映画のどこかに「これぐらいだろ」というシミのようなものがこびりついている。それは制作者が自身で設定している限界に由来している。菊地健雄に必要に思われるのは自身を信じることだ。より正確には自身の「信じる力」を信じることだ。そのことによって周囲の力は際限なく引き出される可能性がある。世界そのものを描き出すほどに。
日向朝子 離れたままではやり直せない。家族も故郷も友人も。単純なことだけど、この映画を観ていて気づかされた。
古澤健 10代の頃、自分が映画になにを求めていたのかを思い出してしまった。青臭い自意識に振り回されていた僕は、自分の孤独を理解してくれる者など、世界中のどこにもいないと思い込んでいた。そんな僕の思い込みを気持ちよく否定してくれたのは、映画館の暗闇で出会った数々の映画やその登場人物たちだった。教室に友人はいなくても、この世界のどこかに同じ魂の持ち主がいるんだ、とロマンチックに信じることができたことは、本当に救いだった。身近なところではなく、仰ぎ見るスクリーンの中の登場人物たちに友愛を感じるなんて、ホントに僕は馬鹿だったんだろうと思うけれど、そういう馬鹿って悪くないじゃない、と『ディアーディアー』という映画は微笑んでいるように思えた。うん、映画が好きでよかったよ。『ディアーディアー』は、映画館で上映されることで、誰かにとって大切な友人になる映画だと思う。『ディアーディアー』に、ひとりでも多くの友人が増えてくれることを祈りながら、僕はこの映画を応援したいと思う。
本田隆一 壮絶な一夜が過ぎた後、傷だらけの登場人物たちを見たときに、ものすごく真っ当な日本映画を観た気がした。登場人物に対する監督の愛情が、そのまま観客が登場人物を好きになる気持ちにつながって、見終わった後に少しだけ勇気をもらえる、みたいな“良質な映画”。言い方を変えると、期待を裏切らない分、予定調和というか、全てがきれいにまとまっている感じもする。次回作は是非、正統派の殻を突き破った異色作を、菊地監督で観てみたいと思います!
万田邦敏 不思議なネタが面白い。スカッと抜けるワンシーンが欲しかったかも。
ヤン ヨンヒ 未完成な人間の集まりが「家族」なわけで、だからどの「家族」も壊れてて、凸凹で、ポンコツで、なので面倒臭くて、鬱陶しくて、突き放したくて、 だけど愛おしくて懐かしくて放っておけなくて。。。数多くの撮影現場を支えてきたベテラン菊地健雄の監督デビュー作は、カッコ悪いほど実直に生きる人々への「それでいいじゃん!」讃歌のよう。
横浜聡子 「兄弟っぽく見せる」とか「役を演じる」とかじゃなくて、自分は数十年生きて来た自分でしかないってところであの映画に存在してた役者さんたちがすごく良かったです。最後、兄弟が各々、誰かに「ごめん」って謝るんですが、反省してるんだかしてないんだかわかなんないところが好きです。例えば中村ゆりさん演じる顕子ですが、普通だったら、だいぶ色んなことがあったあとですし、精神的ダメージで御飯なんて食べられないと思うんですけど、目の前の美味そうな飯に何の迷いもなく箸をつけちゃう姿に笑いました。「この人まだ生きようとしてんのか」って。人間なんて、本当に反省しちゃったら、死ぬしかないんだろうなと思うことがあります。あの兄弟には、反省なんかせずに、歯ぁ食いしばりながら、地面這いながら、生きててほしいと、無責任ですが思いました。
長編第一作『ディアー ディアー』をスタンダード・サイズで撮りあげた新人監督の「いさぎのよい」演出には、驚嘆すべきものがある。
人物たちが、男も女も、台詞を述べているときより、黙って画面におさまっているときの方が遥かに雄弁だという、何とも的確な「いさぎのよい」画面の連鎖。
大きくて重そうな工場の扉が開かれる瞬間を真っ暗な内部から撮ることで始まる物語が、その扉が閉ざされる瞬間に終わるという視覚的に「いさぎのよい」几帳面さ。ある神話的な動物の不在と現存とをめぐってばらばらになっていた兄弟姉妹が、父親の通夜の晩に、男二人が喪服のまま木魚を凶器として乱闘を演じ、真夜中に女二人が無人の学校の教室で出刃包丁を光らせて乱闘し、その光景を外部からのロングショットでとらえるという「いさぎのよい」的確なキャメラの位置。
その乱闘中の停電が、曖昧に素描されていた神話的な動物と無縁でないことがわかるという、事態の推移の映画的な「いさぎのよさ」。喪服姿の兄弟姉妹が納骨時に父の墓前でふと彼方に視線を向けると、その視界に神話的な動物がほんの一瞬姿を見せるといういかにも呆気ない「いさぎのよさ」。
そのとき一つに結ばれる三人を演じる中村ゆり、斉藤陽一郎、桐生コウジの「いさぎのよい」存在感。
あと十分ほど上映時間を短縮すれば傑作たりえただろう『ディアー ディアー』は、まさに真っ暗な工場のような映画館の暗闇で見られるべき「いさぎのよい」作品にほかならない。
蓮實重彦(映画評論家)